損害賠償請求反訴事件
東京地方裁判所令和元年10月4日判決
(最高裁HP、裁判例検索による)
1 ポイントは何か?
- 表現の自由の限界はどこにあるか。
- スラップ訴訟とは。
- スラップ訴訟による損害とは。
2 何があったか?
Y社の会長Bは、「脱官僚」を標榜する政治家を応援するために、その政治家の求めに応じて多額の金を貸し付けた。
弁護士Aは、ウェブサイトのブログで、これを政治とカネの問題として批判した。
Y社とBは、Aを被告として、名誉棄損を主張し、同記事の削除、謝罪、及び、各自金1000万円の損害賠償等を請求する訴訟を提起し、その後、請求額を、各自金3000万円に変更した(訴訟1)。
訴訟1では、Y社とBが敗訴した。
そこで、Aは、Y社とBに対して、訴訟1は、スラップ訴訟(相手方を威嚇し、傷つけるためだけの訴訟)であり、精神的苦痛を受けた等主張して、金600万円の損害賠償を請求する通知をした。
これに対し、Y社とBは、Aを被告として、Y社とBには、Aに対する損害賠償債務は存在しないことの確認を求める訴訟を提起した(訴訟2)。
そこで、Aは、Y社とBに対し、損害賠償金660万円を請求する本件反訴事件を提起した(訴訟3)。
3 裁判所は何を認めたか?
訴訟3で、裁判所は、Y社とBが連帯して、金110万円を、Aに対し支払うことを命ずる判決を下した。
裁判所は、Aのブログの同記事については、
➀ Aの目的は、公共の事実に関し、公益を図ることであると認めることができる。
② Aの意見や批判の表明は、人身攻撃にわたるものではない。
③ 前提となる事実は、いずれも争いがないか、または、公知の事実であり、Aの意見ないし批判との間には、論理的関連性がある。
④ Aは、Bが政治家を支援した動機について、会社Yの私的利益の実現のためだったということを事実として主張しているわけではない。ただ単に、前提となる事実に基づいて、Aの内心において推測した意見を述べているだけであることが、一般人が見て、普通に理解できる。
Y社とBの、Aに対する訴訟1については、最高裁昭和63年1月26日第三小法廷判決(民集42巻1号1頁)の判断基準を引用し、事実的、法律的根拠がなく、かつ、Y社もBも、そのことが容易に理解できたはずであるから、裁判制度の趣旨や目的に照らして著しく相当性を欠き、Aに対する不法行為となると認定した。
4 コメント
裁判の目的は、紛争を解決することにある。そのために、事実を明らかにして、法律を適用し、判決が下されるのである。
いわゆるスラップ訴訟は、裁判制度の趣旨や目的に反しており、相手に対する不法行為ともなりうる。
スラップ訴訟を受けた時は、まず、それに耐えて勝訴するように、気持ちを集中しなければならない。
スラップ訴訟によって受けた損害の回復のために、損害賠償請求に及ぶべき場合もある。
ところで、表現することは、誰にとっても、大切なことである。
本判決では、「公正な論評の法理」について知った。
創価大学法科大学院准教授土平英俊氏の論考に「公正な論評の法理の適用において、前提事実からの推論過程に合理性を問わないとした事例~東京地裁平成27年4月27日判決」があり、インターネットで検索、閲覧できる。)。同論考に、最高裁の昭和62年、平成9年(夕刊フジ・ロス疑惑)、平成16年等の判例が掲げてある。
そして、表現力は、それぞれにおいて、磨くべきものである。
私は、この法理を参考にして、一般的に、「表現力を磨く指針」を、次のように整理してみた。
① 公共の利害に関し、ひたすら公益を図る目的で、公正に、意見や批判を行うこと。
② 前提事実について、真実であることの証明を求めること、ないし、真実であると信ずるに足りる程度の根拠を求めること。
③ 前提事実から、合理性のある推論を行うこと、ないし、前提事実と意見や批判との間に、論理的関連性があること。
④ 人身攻撃に及ぶなど、公正な論評としての域を逸脱しないこと。
その基準は、普通の人が、容易に理解出来るか否かである。
とはいえ、具体的な表現が公正であるか否かの判断は、難しい場合もある。