【刑事事件:昭和47年の千日デパート火災事件】

1 ポイントは何か?

本件は、昭和47年の千日デパート火災事件であり、死者118人、負傷者81人を出し、ビル管理部課長(防火管理者)が禁固2年6月、執行猶予3年、キャバレー代表取締役(管理権原者)及び同支配人が各禁固1年6月、執行猶予2年の各判決を受けた。

2 何があったか?

  C社はAデパートビルの所有者、管理者であり、C社のAデパート管理部課長Gが防火管理者であった。

Aデパートビルは、6階以下がAデパートで、C社直営の売場やテナントの売場があり、営業は毎日午後9時までである。

テナントは、売場の賃貸借契約上、当直は置かず、夜間の防犯防火はC社のAデパート管理部の保安係員5名が一括で行っていた。各階に防火シャッター等や防火区画はあったが、防火シャッター等は開けたままであった。避難訓練も行われていなかった。

C社は子会社D社に7階部分を賃貸し、D社は毎日午後11時までキャバレー「J」の営業を行っていた。Ⅾ社の代表取締役Iが管理権原者であり、「J」Gの支配人Kが防火管理者であった。救助袋は入り口が故障しており、B階段を使った避難訓練は行われていなかった。

  昭和47年5月17日午後10時25分頃、5階のテナンF社の寝具売り場から工事中に火災が発生し、エレベーターの空間などにより7階まで燃え広がった。当日の保安部員は4名であったが、逃げるほかなく、「J」Gへの通報は忘れられていた。そして死者118人、負傷者81人を出した。

3 裁判所は何を認めたか?

Gが禁固2年6月執行猶予3年。

I及びKが各禁固1年6月執行猶予2年。

Gは、自らの権限あるいは上司Hの指示を求め、工事が行われる3階の防火区画シャッター等を可能な範囲で閉鎖し、保安係員等を立ち会わせる措置を採るべき注意義務を履行すべき義務に違反し、本件結果を招来した被告人Gには過失責任がある。

Kは、あらかじめ避難経路の点検を行ってさえいれば、B階段が安全確実に地上に避難できる唯一の通路であるとの結論に到達することは十分可能であり、平素から避難誘導訓練を実施しておくべき注意義務を負っていた。したがって、保安係員らがいずれも「J」に火災の発生を通報することを全く失念していたという事情を考慮しても、右注意義務を怠ったKの過失は明らかである。

Iは、救助袋の修理又は取替えが放置されていたことなどから、適切な避難誘導訓練が平素から十分に実施されていないことを知っていたにもかかわらず、具体的に監督すべき注意義務を果たしていなかったのであるから、Iの過失は明らかである。

4 コメント

  このような大惨事を防止するには、日ごろから法律に定めがあるか否かにかかわらず、できる限り気を付けるほかない。本判決は、最高裁昭和30年(あ)第2866号同32年12月17日第三小法廷決定・刑集11巻13号3246頁参照)を引用する。

判例

昭和62(あ)1480  業務上過失致死傷
平成2年11月29日  最高裁判所第一小法廷  決定  棄却  大阪高等裁判所

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