【損害賠償:第二次世界大戦中に華北地方から日本に強制連行され強制労働に従事させられた事件】

1 ポイントは何か?


  本件は、第二次世界大戦中に、中国華北地方から強制連行され強制労働に従事させられた中国人らが、日本の企業に対し安全配慮義務違反を理由とする損害賠償請求した事件である。最高裁判所は、日本では条約扱いされていない日中共同声明が日中平和友好条約の前文により国際法上の法規範性を獲得したと認め、かつ、日中共同声明が戦争賠償のみでなく個人の請求権も放棄したとの法的効力を認めた。


2 何があったか?


  昭和12年7月、盧溝橋事件。日本は中国と交戦状態に入った。
昭和13年4月、国家総動員法公布。朝鮮半島からも多数の朝鮮人労働者を移入。
昭和16年12月8日、真珠湾攻撃。太平洋戦争始まる。
昭和17年11月27日、「華人労務者内地移入ニ関スル件」閣議決定。
昭和18年4月~11月、1400人余りの中国人労働者を試験移入。
土木建築会社Y社は、昭和18年6月~昭和22年3月工期の広島県山県郡安野発電所の増築工事を受注していた。
昭和19年2月、「華人労務者内地移入ノ促進ニ関スル件」次官会議決定。
昭和19年3月~昭和20年5月、161集団3万7524人の中国人労働者が日本国内に移入された(惠崎注記:後述の通り、中国送還までの中国人移入者総数は3万8935人であり、この差がなぜ生じたかは不明)。
昭和19年4月、Y社が厚生省に対し申請し、中国人労働者300人の割り当てを受けた。
昭和19年7月、Y社は、青島において、日本軍の監視の下、華北労工協会から、中国人労働者360人の引き渡しを受けた。X1、X2、亡A、亡B、および亡C(以下、本件被害者ら)は、この内の5名である。
昭和19年7月29日、上記360名は、青島で貨物船に乗せられ、7日後、下関港に到着したが、この間3人が病死した(残357人)。本件被害者らは、安野発電所の収容施設に入れられ、監視員と警察官の瑕疵を受け、導水トンネル掘削工事に昼夜2交代で従事し、食事は不十分で全員痩せ細り、常に空腹状態に置かれ、衣類や靴の支給、衛生環境の維持、傷病者に対する治療も極めて不十分であった。
昭和19年8月、「昭和19年度国民動員実施計画」閣議決定。朝鮮人労働者29万人、中国人労働者3万人の本格移入実施の方針を定めた。
昭和20年3月、上記357人の内12人が傷病を理由に中国に送還された(残345人)。
昭和20年7月13日、と殺した牛の肉の配分を巡り中国人労働者間に争いが起こり、中国人大隊長2人が撲殺された(残343人)。被疑者16人を広島刑務所に収監したところ、昭和20年8月6日、原子爆弾の投下により、5人が死亡し(残338人)、11人が被爆した。
昭和20年8月15日、天皇が国民に、玉音放送でポツダム宣言受諾と無条件降伏を伝えた(日本では、この日が終戦記念日)。
昭和20年8月24日、政府機関の指示により、安野発電所における中国人労働者の稼働停止。
昭和20年9月2日、降伏文書(休戦協定)に署名(アメリカ等ではこの日が戦争終結日)。
昭和20年11月24日、安野発電所における中国人労働者の搬送。
昭和20年11月29日、長崎県南風崎から中国に送還。この時までに、移入途中死亡3人以外に26人が死亡していた(残314人。惠崎注記:移入者の約8パーセント。原爆投下後の残338人よりも24人少ないが、理由は不明。)。中国人労働者を受け入れた全事業所を通じ、中国送還までの中国人移入者総数は3万8935人(惠崎注記:昭和19年3月~昭和20年5月の中国人労働者移入者は、前記の通り161集団3万7524人であり、それより1411人多いが、その理由は不明である。)の内、送還時までの死亡者6830人(惠崎注記:移入者の約17パーセント。安野発電所における中国人労働者の死亡率は約8パーセントであるから、他の受け入れ事業所とくらべると2分の1以下の割合である。そうだとすれば、他の受け入れ事業所の中国人労働者らがさらに、どのようなひどい扱いを受けていたのか考えてみる必要がある。)。
昭和24年、中華人民共和国成立。
昭和26年9月8日、サンフランシスコ平和条約締結。
昭和27年4月28日、サンフランシスコ平和条約発効。日本国と中華民国が日華平和条約を締結。
昭和27年8月5日、日華平和条約発効。
昭和47年9月29日、日本国と中華人民共和国が共同声明(以下、日中共同声明)。同声明5項に「中華人民共和国政府は、中日両国国民の友好のために、日本国に対する戦争賠償の請求を放棄することを宣言する。」とある。同条項には、文言を見る限りにおいては、放棄する請求権の主体と、戦争賠償以外の請求権の処理、個人の請求権の処理についての言及がない。
昭和53年8月12日、日本国と中華人民共和国の日中平和友好条約締結。同年10月23日発効。前文で、日中共同声明が両国友好の起訴となることを確認した。
本件被害者ら(死亡者については相続人らが)がYに対して、安全配慮義務違反を理由として損害賠償請求をした。
X1は、就労中トロッコ脱線により失明、送還。
X2は、重篤な疥癬から寝たきりになり、送還。
亡Aは大隊長撲殺事件被疑者として収監中に原子爆弾の被害を受け死亡。
亡Bも同様に収監中に原子爆弾により後遺障害を負った。
亡Cは高熱のため動けず、現場監督から撲殺された。


3 裁判所は何を認めたか?


  X1ら敗訴。
  第1審裁判所はX1らの請求を棄却。
  原審広島高等裁判所では、X1らが一部勝訴。
  最高裁判所は、原審判決を破棄し、X1らの控訴を棄却した。これにより第1審裁判所の判決が確定した。
(日中共同声明の国際法上の法規範性、同声明5項の法的効力について)
  最高裁判所は、日中共同声明が、日本では条約扱いされていないが国際法上の法規範性を認め、かつ、同声明5項を拡張解釈し、国家間の戦争賠償のみでなく個人の請求権も放棄したとの法的効力を認めた。
(請求権の消滅時効について)
  請求権の消滅時効については、昭和61年2月の中華人民共和国公民出境入境管理法の施行後に現実的な権利行使が客観的に可能となり、X1らとYが補償交渉を開始した平成5年8月時点では時効期間が経過していなかったが、それ以降平成16年の訴訟提起に至るまでの間のX1らの事情等を総合し、Yによる消滅時効の援用は権利の濫用として許されないとした。


4 コメント


  本要約では、本判決文にある日中戦争、太平洋戦争から原爆投下、サンフランシスコ平和条約締結を経て、中華人民共和国の成立、日中平和友好条約締結へと至る第2次世界大戦の経過の一端を、できるだけ簡単に整理してみた。本判決も、朝鮮人労働者及び中国人労働者が日本に強制連行され強制労働させられた状況がひどいものであったことを認めている。国際的な紛争の解決を戦争に訴えてはならない。
この裁判が、中華人民共和国も日中共同声明の文言の意味を拡張し、国家間の戦争賠償だけでなく戦争にかかわる国民個人の請求権を含めて放棄したと認めたことはやむを得ないと思うが、それは訴訟という手続きの範囲でのことである。日本国と日本人は、これですべて政治的、経済的にも戦争責任を果たし終わったと考えるべきではない。日本国は、外国及び外国人との間で平和友好の関係を続けることで、これからも任意での戦争責任を取り続けていくべきであると思う。
  本件で消滅時効援用が権利濫用であるとの考え方は、参考にすべきだ。  

判例

最高裁判所第2小法廷平成16年(受)第1658号損害賠償請求事件、平成19年4月27日判決(破棄自判)原審広島高等裁判所