1 ポイントは何か?
憲法は基本的人権として信教の自由、政教分離を定めている。本件は、津市体育館の起工式に神社神道の地鎮祭が公費で行われたことが憲法に違反しないとする最高裁大法廷判決であるが、5名の裁判官が反対意見を書いている。
2 何があったか?
津市は、昭和40年1月14日、体育館の起工式を主催し、神社神道の地鎮祭を行い、公費で、神主に対する報償費金4000円、供物料金3663円等支払った。
3 裁判所は何を認めたか?
津市勝訴。
第1審地方裁判所は、本件地鎮祭は神社神道の祭礼であるが、実態は習俗的行事であり、津市が主催したとしても、特定の宗教を推進しようとするものではなく合憲としたが、原審名古屋高等裁判所は、違憲とした。最高裁判所大法廷は、高裁判決を破棄し、控訴棄却とした。
最高裁は、次のような理由を挙げている。
本件地鎮祭は、神道との関わりはあるが、世俗化しており、津市が主催して行うことが他の宗教に対する圧迫になるものでもなく、憲法20条3項で国及びその機関に対して禁止される一切の宗教的活動には当たらない。
政教分離は制度的保障の規定であって、間接的に信教の自由を確保しようとする。しかし、国家は、社会生活の規制、助成・援助等の実施にあたり、宗教との関わり合いを完全に免れることは不可能である。例えば、刑務所等におけるなんらかの宗教的色彩を帯びる教誨活動を許すこと、特定宗教と関係のある私立学校に対し一般の私立学校と同様な助成をすること、文化財である神社、寺院の建築物や仏像等の維持保存のため国が宗教団体に補助金を支出したりすることなど、そのかかわり合いが、信教の自由の保障の確保という制度の根本目的との関係で、いかなる場合にいかなる限度で許されないこととなるかが、問題とならざるをえないのである。
5名の裁判官の反対意見がある。
藤林益三裁判官は、細くあない意見で、「宗教的少数者の人権」という概念を掲げ、次のようなジェファソンの言葉を引用する。「宗教における強制は、他のいかなる事柄における強制とも特に明確に区別される。私がむりに従わされる方法によって私が裕福となるかもしれないし、私が自分の意に反してむりに飲まされた薬で健康を回復することがあるかもしれないが、しかし、自分の信じていない神を崇拝することによって私が救われようはずがないからである。」また、国家又は地方公共団体は、信教や良心に関するような事柄で、社会的対立ないしは世論の対立を避けるべきものであつて、ここに政教分離原則の真の意義が存するのであるとされる。矢内原忠雄全集18巻357頁以下「近代日本における宗教と民主主義」の文章から多くの引用をしたことを付記されている。
4 コメント
私は、本判決の多数意見、反対意見のそれぞれに対し、深い敬意を表したい。なお、私の愚論ではあるが、憲法20条3項には「国及びその機関」という文言はあるが、「公共団体」という文言はないので、地方公共団体には、それぞれの地域における独自性を認め、固有の判断があってもよいのではないか。もちろん、「宗教的少数者の権利」に配慮したうえでのことである。また、「宗教的少数者の権利」論は、基本的人権一般の擁護の考え方に大きな影響を与えたと思う。
判例
昭和46(行ツ)69 行政処分取消等
昭和52年7月13日 最高裁判所大法廷 判決 破棄自判